20 June, 2015

シーグラスみたいな

ふっ と
壁を抜けるというか
風がふくというか

もやもやの喧噪になれてしまって
それが突然ぱたりと止んだ瞬間の
新しい空白の音をきこうとする妙な緊張感
そしてその焦りがまわりに気づかれていやしないかという照れ
それらすべてを圧倒するような重い倦怠感と
その倦怠の泥のなかから洗い出せそうな光
その光のことなんだけど

もうすこしで捕まえられそうなんだけど
まだみたい

19 April, 2015

夜は呼吸が楽

ゼリーのプールを泳ぐ夢をみた。
グミがほぼ主食。
花がまぶしすぎて見れない。
夜は呼吸が楽。
そんな毎日。
自分の背中を追いかける毎日。
行方不明になるまえに。

15 June, 2013

だれも

思い出について考えてた。
思い出=私目線で語られた世間の事象の記録やそれにともなう感情
てなわけで、とても貴重なものだよね。
私以外、だーれも私の思い出を知らないの。
わたしがいなくなるとき、わたしの思い出も一緒になくなるってこと。


21 May, 2013

水色

水色って色は
どうして水色って名前なの?
って疑問が解決される季節。
川や海やみずたまりが
鮮やかな空色をうつして
きれいな水色になるのでした。
だいすきな季節。

水色はきっとラムネの味がしそう。
固形の、駄菓子のラムネのほう。
あまくてすっと溶けてひんやりする感じ。

25 March, 2013

眠れる記憶

記憶が洪水となって
脳の機能を破壊することが最近よくあって
そんな日は家路をたどる作業を本能にまかせて
理性は洪水をせきとめるためだけに全力を果たし
記憶はおおきな感謝と愛と後悔を同時につれてきて
だいたい感謝ではじまり後悔で終わるから
どうにもならない
行き場の無い怒りみたいなものが自分にむけられて
そうゆうのを昇華するための芸術の才能がわたしに
あればよかったのに
とか思いつつ
ひたすら眠りに身を委ねてみたり

思えば10年以上もこうゆうものたちに
脳の半分くらいを占領されたまま
眠りについたそうゆうものたちを起こさぬよう
そうっとそうっと生きて
このままどこにいくんだろう?

透明、泡。

透明なものに、とても惹かれる。
とても完璧な色だとおもう。
そのものの中で、光が屈折して、
その環境の色を透かしたり、歪めたり、溶かしたり、
それでもなお透明であることの潔白さを保っている。
完璧な静寂とほのかな清涼感、触れてはいけないような
厳かな清らかさ。
そんなもののかたまり。

あと、
沸騰している湯の水面の泡にたまらなく惹かれる。
波打ち際のあわも同様に惹かれる。
この話はまた今度。

12 July, 2012

ときどき、じぶんのからだの
どこまでが自分で、どこからが空気か
よくわかんなくなる。
すごく疲れてるときとか
一歩一歩の痛みをかんじながら
足の裏以外の皮膚が、どんどん空気に溶け出す。
輪郭がぼやけてる感覚がある。
ガラスにうっかり映った姿は、あくまで
仮の姿なので、わたしにはよそよそしい。
なんとか自分をつなぎ止めておかなきゃ
って思うんだけど、ばらまいた欠片を
拾うには疲れすぎている、
だから、こぼれていく一方。
毛穴から外界の何かが入ってきて
自分と静かにいれかわって
かつて自分だったものは空気にまざって
外側から、いまにも崩壊しそうな
元自分の輪郭をささえる。
そのほうが守りやすくかんじる。
内側にこもるよりも。
そんなことをぼんやり考えながらの
夏の夜の雨はいいものです。

03 July, 2012

ガラス


街中の鏡が、全て海辺につながってたら素敵だな
って思うくらい海に行きたい。
あおい鏡をのぞきこむと、
潮のにおいと、さざなみの音、光のまざった風。

08 March, 2012

あかり

私ってほんとに体力なくて運動神経もなくて
それを強い精神力で補っているのだけど
その集中力がきれそうなときは
アドレナリンと妄想に頼っております。
そのふたつが出てこないと倒れます。
ほんとうに危なっかしくて、
よくここまでやってこれたなーと思います。

日々妄想は絶やさずがんばってるので
あとはアドレナリン待ち中であります。
そればかりは、自分でコントロールできない。
タイミングを逃さないように
種火のあかりを静かに守って暮らしてる。

あと、他人とくらべて
私の呼吸はとても浅いらしい。
試しに深い呼吸をすると、
激しい動悸がする。
逆にすごく苦しい。

世界の終りとハードボイルドワンダーランドの
影 が、自分自身な気がしてる。
というか、そう考えると、いろいろつじつまが合う。
だとすると、私自身はどこにいるんだろう?

18 September, 2011

モヒート飲みたい

ぱっといろんな物事にけりをつける
そんな日でした、今日は。
もやもや思っていたことを始動
ぱっと散ったものもあれば
思った以上の結果がでたものもあり
さっぱりしました。
何事も
とりあえず始めてみるのが大事だよね、
めんどかったり臆病になったりするけど
1回やってみないと始まらないし
もやもやと付き合ってくほうがダルいし。
日々きっかけを探して、可能性を貯めて、
時間のあるときにぶああああっと力を発揮。
しんどいときは、何もかも手放しで休む、
もう全てを放り出して、駆け出す勢いで眠る、
頭をからっぽにして、無のプールに漂う。
そうゆう時ほど焦って、何かせなあかんって思いがち
でもそんな雑念ぽいっと捨てて休む。
じっくりその時がくるのを待つ。
その時はゆーっくりやってきて、
体の細胞をひとつひとつ飽和させて、
でもそれがパンパンに膨れ上がっちゃうと
頭でっかちになって身動きがとれなくなるから
ちょうどいいタイミングを見計らって動き出す。
ちなみに私の目安は、
すっぱいものや炭酸飲料を無性に摂取したくなるとき。
へんなのー。でもそんな感じの日々です。

15 August, 2011

シュールなやつ

妄想好き、
シュールレアリズムなやつもすき。

さっきから、想像してること。
店でお菓子を黙々と仕上げてて、
なんかうまくできない、と思ってよく手をみたら
指が枝になってて、爪から葉っぱが生えてきて、
あ、そっか、あたし木だったんだ、ごめんね、みんなって
そう思ったら、目の前に空と海がごちゃまぜにミックスされたような
偉大な自然のイメージが降ってきて、
肌にうろこが、背中に翼がはえてくるのをかんじて、
あ、これは間違っている、幻想を誰かに操作されてる、
自分はだまされない、って強く思うと、
また木に戻って、根が生えて、めりめり地面に張り巡って、
一度うまれたらここにいなければならない、
環境にがんじがらめである木の命、その宿命を
受け止めるか否かを考えているうちに、
血液は水になり、煩悩はつぼみになり、花がさいて、
風に散って、それからどうなるんだろう
とか、めっちゃシュールな脳内。

それにしても、
海の上に浮かぶ空って
本当にドラマチックだよね。

13 August, 2011

いま

ついこの前の事
と思ってたのに、
この日記をさかのぼってみたら
2年前だった、とか。

年月って何のためにあるんだろう。
わかりやすい季節の変わり目の目安だったり、
社会生活にけじめをつけるということだと思うけど、
はっきり言って、あんまりいらないな。
人生の時間を切り刻んで
予定をたてたり、振り返ったり。
なんかそうゆうの、本当に向いてない。
ずーっと、「いま」の連続。
「いま」がいっぱいあって、ここに私がいる、
そんな感じ。
だから、全ての瞬間の私は、
同じ私でもあるし、
1個1個まったく別ともとれるけど。
そう考えると、
つながっている人生の安心感もあるし
いつでも生まれ変われる大胆さも得られる。
そうゆうことだけでいいと思うんだ。
なので、細かい枠組みの時間を
あまり語らないようにしようと思う。
10年前のことが、ついさっきみたいに蘇るとか、
10年後のことが想像できなくて不安だとか、
そんなの当たり前だもん。
たくさんの「いま」がつながって
ちょっとずつ変化して。
いつでも好きなように戻れて、
好きなだけ進める。
進む速度は一定のようだからもどかしいけど
一定に感じるのは他人が所有してる時間と相対的にみた結果だから
実は関係ない。
好きなだけ進むことができる。
すこしでもたくさんでも。



10 August, 2011

それはもう

今日突然、
Salyuちゃんとコクリコ坂から にはまりました。
激しく。
もう身を裂くような衝撃でした。





変わっていく気がします、いろんなことが。

03 August, 2011

記憶ひろい

最近ふと
昔考えていたことを、
過程ごとそっくり思い出すことがある。
昨日の夜に思い出したのは、
幼稚園のときの記憶。
戦争と平和の概念について、知ったとき。
平和はわかる。みんななかよしのこと。
戦争は、けんかすること。
けんかの原因はなに?ときくと、
いろいろよ、と誰かが答える。
仲直りすればいいのに!というと、
原因はとっても難しいことだし、
大人数どうしのけんかで
みんな少しずつ考えがちがうから、
終わるのも難しいんだよ って。
ぜんぜんわからない!仲直りすればいいのに
そうすればみんな痛くないし
みんながにこにこだし
みんながちょっとずつがまんすればいいんだよ
って思ってた。
物事はそんなに簡単じゃないって気づいたのは
もっとあとのことだけど、
世界の情勢だけじゃなく、自分をとりまく環境も
こんなに複雑になるなんて思わなかったなあ。
自分のちょっとのがまんができなくなって
いろんなひととけんかして、
結果好きなひとと二度と会えなくなったりして、
なんだろう、情けない。そんなことばっかり。
もっともっと考えなくちゃ。
小さい時のほうが、
いまよりずっと俯瞰的に
ものごとをみることができた、ぜったい。
忘れたくないー、というか、思い出したい!

15 July, 2011

バクテリア

写真洗浄ボランティアに参加させて頂きました。
たくさんの写真、
こびりついた砂や泥、
染み込んだ海水の何とも言えない匂い。
そうだよね、まだ続いてるんだって
改めてぐっと実感しなおす。
いろんな人生が
自分のなかになだれこんできて、
なんかもうよくわかんない気分で、
はじめは心を閉じるってことしかできなかった。
ごめんなさい、私はうまく受け取れません、
でも思い出のかたちのままそうっとお返ししますから!
と祈りつつ頑張りました。

銀塩写真の表面はバクテリアに食われて
ぱきっとした黄色の染みが前衛アートのよう。
劣化した表面は、ぼろぼろはがれてしまう。
ゼラチンなんだもんね。食われるし剥がれるよね。

デジタルプリントは色がぼんやり滲むくらいで
けっこう丈夫です。プリクラも。

インスタントカメラは内側に水が入ってしまうけど、
表面をふいてしっかり乾かしてあげれば綺麗になります。

銀塩写真、、そうだよね、
海沿いに住んでなければ津波に写真が浸かることはないけど
雨漏りとかならありえるもん、
安全な長期保存に向いてないってことだよね。
なんてぐだぐだ考えているうちに終わってしまった。
みんなはどんな気持ちで向き合っていたのかな
とか思いつつ、
初対面のひとと日常のおしゃべりなんかして
かき氷をいただいたり、集合写真撮ったり。
思い出と思い出がつながって
人とひとがつながって
いろんな糸で世界が守られていきますように。

22 June, 2011

鴨川

ツイッターをはじめて
思いついたことを溜めずに言えて
その結果ここに来れていませんでした。
ツイッターのペースがつかめてきたので
ここに戻ってきました。
またよろしくお願いいたします。

先日、京都に行ってきました。
別に故郷とかではありませんが、
鴨川は私にとっていちばん好きな場所です。

土手にすわって、澄んだ水をじーっとみていると
特に考え事などしなくても、どんどん時間が過ぎて行きます。
むしろ、邪念を流してくれてるのかも。
日によって、川辺の匂いがぜんぜん違う。
カエルみたいに泥臭いときもあるし、
何故か海みたいな塩くささがあったり、
草いきれの焦げた匂いがしたり。
そんなものたちとごっちゃになって、流れる水を眺める。
今回ははじめて、出町柳から四条にかけて
たっぷり時間をかけて下ってみた。
堪能しました。
他にも、お寺とか喫茶店とか本屋とか色々行ったけど
正直なところ、京都旅行は鴨川がメインです。
いつか住みたいなー。
ぜったい住みます。そのうち。

30 May, 2011

あみだくじ

何かに名前をつけたり
たくさんバリエーションがある中から一色だけ選んだり
そうゆうときに
「あんまり自分らしすぎないのにしよう」
って思って、
すごーい考えて、
あみだくじで例えるなら
右がいいと思うところで左に進み
左がいいと感じる箇所は右に行く
その繰り返しで辿り着いたものを
じゃーん とお披露目すると、
そんな経緯をしらない周りの人々は
「これまた、すみれっぽいのにしたねー」
と言う。
そうゆうのに 前はひどくがっかりしてた。
でも最近やっとわかったのは
自分はどこまでいってもいつまでも自分だということ、
自分の脳フィルターを通したものは
Yes/No関係なく、自分のものだということ、
本当に嫌すぎることは
無意識にでも完璧に排除してるということ。

寝て起きたら別人になってればいいのに
って、よく思う。
別の次元で、それが実際に起こっているのも感じる。
ここにいる私は、そちらへはシフトすることができないみたいなので
あきらめて 私らしさを許容しつつやっていきますー。
そんなかんじー。

さて、いま降っている豪雨は
明日には止むのでしょうか?

04 May, 2011

おばけよりこわいもの

生きてると、これはやばいよなってとき
あるじゃないですか。
まあいろいろあると思うけど
今回言及してるのは
ひとりで静かにしてるときに
突然ぐっと足下をすくうやつですよ。幽霊じゃないよ。
そんな時は、時間が伸び縮みする音が聞こえたり
あらゆるものの匂いが濃く深くなったり
呼吸の仕方がわからなくなったり
ビックリハウスみたいに部屋が回転しだしたり
手のひらが透けて見えなくなったり
、しませんか?
この合図って、ひとによって違うの?
そんでもって、この呪縛ってどうやって解くの?
ぱんと手をたたいて、はい!って叫べばいいってもんじゃないし
どうなのどうなの?
むースピリチュアル凡人はどうしたらよいのやら!

02 May, 2011

しーん

人付き合いで(恋愛も友情もねー)
相手のひとになんかの事情があって
ころっと(無自覚で)人柄が変わっちゃって
あれーこんなひとだったっけってがっかりしちゃって
なんかこのひとめんどくさいわ、って
思うこと、たまにあるよね。

もしそれが、
相手の変化が自分にとって心地よいものだったら
ためらいもなく受け入れて、
お互いハッピーな感じなんだろうけど、
そうじゃないから、こうゆう心持ちなのだ。
ようするに、
相手の変化が、私にとって都合のわるいことだったから
こんなにぷんすかしてるんだなー。

ここで私がすることは
しーんとした気持ちでそれとなく受け入れる
いいところをみつける
そのかんじが自分に馴れるのを待つ
時間が解決しなかったら、あきらめる
でしょうねー。
あきらめたあとに、解決が待ってることもあるので
ぐっと我慢。

それにしても
環境の変化って、
そのひとの核までは変えることはできないって
おもってたけど、
かなり近いレベルまでやれちゃうんだよねということを
思い出した。
何かしてあげたいんだけど、
結局それって
「自分の理想のそのひと像」になるためのお手伝いを
したいだけであって
それって自分勝手だし、結果ますますぎくしゃくしちゃうし、
だからとりあえず、しーんの距離を保つことにします。

26 April, 2011

製菓に関する10のこと!

製菓の勉強をはじめてよかったこと
やはり色んなお菓子をつくれること
はじめてのレシピでも大きな失敗をしないこと
特技ができたこと
大雑把すぎる性格矯正に役立ったこと
幼稚園からの夢がかなったこと

製菓の勉強をはじめて悪かったこと
純粋に味を楽しめず材料ばかり気になること
試食しなきゃいけないので必然的に砂糖を過剰に摂取すること
前ほどお菓子をたくさん食べれないこと
おいしいと思う基準がきびしくなったこと
偉そうに製法のアドバイスをしちゃうこと

こんなかんじかな。
悪かったことの悩みは切実なのだ。
よかったことって、はじめの衝動的喜びが過ぎ去ると
どうでもいいっていうか 人に聞かれたときに答えているうちに
ステレオタイプの回答になってきて
自分でも歯の浮くような嘘ついてる気がしてきて
という悪循環!
儲からないけど、本当に好きな仕事で
これ以外の職につくなんて考えられない
勉強も中途半端だから「パティシエ?」ときかれると
恥ずかしすぎて「ちがう!」って言っちゃうけど
ずーっと続けていきたいとおもいます◎